のれんについて

のれん【暖簾】:古代日本の家屋には壁が少なく、暖をとるのに最低限の間仕切りとして簾をかけていました。それがのれん。読んで字の如くです。そしてその暖簾は日除けや風よけ、目隠しやちりよけとして玄関先にも掛けられるようになりました。それが目印としての文様が入るようになって今の看板としての機能をもったのは鎌倉時代から江戸時代にかけてのことといわれています。おもしろいのはのれんの色をみるとそこの商いの業種もわかるようになっていたようです。

「洛中洛外図屏風」左隻第4扇中下
「洛中洛外図屏風」左隻第4扇中下
室町~江戸時代の京都市内小川通周辺
買い物する町の人・・商店には当時の暖簾

  • のれん白地白地・・・お菓子屋
  • のれん紺地紺地・・・呉服屋・酒屋
  • のれん柿色柿色・・・水商売
  • のれん茶色茶色・・・薬屋・たばこ屋
  • 染料も比較的安価で染めやすい色が庶民の色として、のれんその他に使用されていたよう、逆にとっても高貴で庶民が使ってはならない色は・・・
  • のれん紫紫だったそうです

旗について

旗の語源:英語では、擬声語のflap(はためく音)からflag(英語)になり、日本語では梵語のpataka(パタカ・波多)から中国語「翻」→「幡」→「旗」となった模様。いずれも布がはためく音を模して出来た言葉のようです。また、旗(のぼり【幟】)の日本でも、海外の起源は戦場で敵と見方を区別するためのもの、兵士の意思を鼓舞するためのものとしてはじまっています。辞典によると旗の同意文字は35種類もあるそうで、その漢字も旗の形状や使われ方、色や模様によって使い分けられていたそうです。

日の丸・・国旗の起源

古来より軍扇等によく描かれていた日の丸、旗(幟)として用いられたのは1630年、幕府の巨大船「安宅丸(あたけまる)」に徳川家の葵紋とともに多数たてられたもので主に当時年貢米を運ばせる船の船印として定められたのがのちに外国船の来航が頻繁になり外国船と区別をするためにも国旗が必要となり1854年に「日本総船印は白地日の丸幟」と定められたのが一般的に日の丸を国旗と定めた始まりといわれています。正式には1870年太政官府告57号で商船規則を制定し「御国旗」のデザインや規格を定められたのですが、もともと船用だったのです。

むかしむかしの染屋について 『ジャパンブルー』

もともと草木染めの浸し染めから始まった日本のそめもの:中国の史書「魏志倭人伝」に赤や紺に染められた藍染めの献上が魏王にされたとあるほど、日本の中で特に藍染めは歴史の古いものです。染物屋は「紺屋」と称されるほど日本の染物は藍染め主体でしたから昔から日本には紺や青に染まった着物から布団、のれんなどがいっぱい。ジャパンブルーは日本の生活の基本色だったようです。事実、江戸時代に来日したラフカディオ・ハーンの「極東の第一日」には「日本の人がきていた着物は紺色が大部分を占めている。またその紺色が店屋の色をも支配している」とあります。紺屋・染物屋は型を作る職人、糊を作る職人、染め職人と分業していたようですが、日本には各地にこの紺屋の職人の集まった町がその名をのこしています。

このように日本各地の(主に水辺)に「紺屋」などの染物屋がありました。京都の友禅流しは有名ですが、やはり川の水を利用して染物の水洗をしていた名残なのです。戦後急速に機械化が進み、染料も化学薬品が多く含まれるようになり、昔のように流暢に川流しで水洗なぞ出来ない時代になってきました。地球温暖化防止が叫ばれる中、わが染色業界はなかなか難しい時代になってきました。現代の「紺屋」も多くの課題を抱えつつ時代にあったそめもの作りをしています。

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