染色の歴史には古代人から伝わる技術と、近代の科学技術との融合による物語がある。

大昔のエジプトでは、ミイラに巻く麻布を、藍などの植物で、中東はウコンやサフランで布を黄色に染めていました。クレオパトラは貝の分泌腺から得た貴重な色素で染めた紫の衣服を権力の象徴としていたそうです。アメリカ大陸では、コチニールという虫から作られた、鮮やかな赤色の染料を生み出し世界中に輸出していました。コチニール虫からとれる色素は安全で食べ物の色付けにも使われています。

日本の染物の歴史

古代から近代

古代は麻糸の織物が主体で、染色については草木の汁液や花などで摺染(スリ染め)していました。しかし、応神・仁徳帝の時代に秦氏が帰化することにより、織の技術とともに染の技術が伝来、進歩し、飛鳥・天平時代に入って草木染の染色技術は益々発達しました。そしてこの時代では、草木の色素を摺染するだけでなく、中国・朝鮮からミョウバンや硫酸鉄などを使用する、いわゆる媒染の技術が伝来し、衣服はよりカラフルになったとされています。美しく染め上げられた衣服をまとうのは、つねに高貴の象徴でした。当然、帝に仕える人々に織師、染師が生まれました。桓武天皇の遷都と共に織部司が奈良の都から平安京に移され、そうした織師、染師らも京都に移住してきました。紅には紅師あり、紫には紫師あり、紺、黒染師が生まれ、何れも禁裡の御用が専門で染師の邸宅は烏丸一条辺を中心とした御所の近くにあったそうで、その時代の染師は苗字帯刀を許され、相当格式があったと伝えられています。この時代に日本、京都の染業のルーツを探ることができます。

徳川時代には、植物染料を主体とする染色法はほぼ確立し、一般大衆の需要に応じる染屋としての独立した染業が生まれました。文化10年の佐藤信淵の『経済要録』には藍葉、紅葉、紫根、茜草、ウコン…など植物染料が商取引として挙げられています。八代将軍吉宗は吹上御苑に染殿を設け、大いに染色の研究をせしめ、染業の発展に貢献したとの記録もあり、京都の染業は産業として、この時代に大きく発展したようです。

近代から現代

明治初年頃より、ヨーロッパから日本各地に人工染料が少しずつ輸入されはじめました。当時の繊維は古代からの麻、絹、それに徳川時代から使用がはじまった綿であり、染色はすべて天然染料でした。しかし、1865年にイギリスのパーキンが合成染料を製造、当時の有機化学の発展とあいまって、次々に多くの染料が人工的に造られるようになったのです。織機も明治初年頃ヨーロッパから輸入され、繊維産業は近代産業として変貌しはじめました。日本の誇るトヨタ自動車ももともと繊維産業だったのです。日本は世界の大きな産業革命の波をかぶって大きく変革していく時代でした。

大正時代から戦前の間には、原材料としての染料の開発が盛んな時代、明治時代から既に直接、酸性染料などが開発、使用されていましたが、大正時代に入ってから、ナフトール染料などが相次いで開発され、大正末期にはドイツの染料が各種大量輸入され、新しい化学繊維であるレーヨンの出現とともに、業界の染色技術が急速に向上したときでした。戦後はこれに一層の拍車がかかることとなります。そしてナイロン、ポリエステル、アクリルなどの三大合成繊維の登場です。これらの合成繊維と共に分散性染料やカチロン染料、さらに反応性染料という綿用の高機能染料が開発され、染色はその時代の先端化学技術となりました。従来はすべて手作業でなされていた染色でしたが、高度成長の波に乗って大量染色がはじまりました。機械や電気技術の応用により、機械化されだしました。

近年はコンピューター技術やナノテクノロジーの発達とともに染色も織物もより高度な機械化・オートメーション化が進み、より複雑で高度な染色や織物が可能な時代になってきました。現在も、これからもまだまだ進歩しつづけていくことでしょう。

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