京都の染めもん屋 そめたろ

染ってなに?

染めには大きく分けて3つの工法があります。

本染と顔料プリントとデジタル染色とに分けられます。

本染めとは

辞書で探しても本染めという言葉は見当たりません。染めるということは「水を媒体にして染料を生地に化学的に結合・固着させること」です。つまり水を使って染料を溶き、生地に浸透させ、蒸し機を使って加熱して発色・繊維の奥までしっかり染着させることを言います。高度経済成長時代に新しく使用され始めた蒸し・水洗がいらない顔料プリントの対極として、当印染業界では呼び習わし、伝統の染めの色を「本物」として区別し、大切に守ってきたこだわりの言葉です。水を使うという本来の染めには、他の色にはない独特の深み、発色、鮮やかさがあります。

顔料プリントとは

顔料プリントは色の粉(顔料)を水に溶かず、ボンドのようなバインダーと呼ばれる溶剤に混ぜて色を生地につけることを指します。
顔料プリントは蒸し・水洗の工程の替りに熱を当てて色を固着させる処理をすることにより、色が落ちにくくなります。最近では顔料そのものの粒子が大変細かくなり、風合いもよく、染料と見分けがつかないものも多くなってきました。

デジタル染色とは
(昇華転写捺染とインクジェット染色)

デジタルデータをそのままフルカラーで染めることをさします。
当社では昇華転写捺染とインクジェット染色があります。どちらも大型インクジェットプリンターを使用します。当社では長らく本染で培われてきた色へのこだわりがベースにあります 同じ工場内で職人が見てきた本染の色を意識した一味も二味も違う発色、濃度感を実現する染色技術へと独自に発展をとげています。どちらもプリンターから吐出される極限的に少ない染料インクを使用し生地の表面のみを染めています。

昇華転写捺染とは

ポリエステル生地にフルカラーで染めをする染色方法です。
大型インクジェットプリンターを使用し、転写紙と呼ばれる特殊な紙にポリエステルを染める昇華性染料インクを吹き付け、生地と転写紙に同時に熱を与えます。転写紙の上の昇華性染料インクは熱によってガス化し、生地の方へ移行し同時に生地に染まりつきます。
このアイロンプリントのような方法で、染料が生地の表面に化学的に結合し、染物となっています。蒸しや水洗が不要なため、短納期対応に優れます。水を使用しない無水染色として旗や暖簾などの染め加工に重宝しています。当社では独自に開発した両面転写があり、国内での高いクオリティを誇っています。

インクジェット染色とは

ポリエステルのみ対応可能なフルカラー染めの昇華転写捺染に対し、木綿や絹などの天然繊維をフルカラーで染める方法です。
ベルト搬送装置付きの大型インクジェットプリンターに木綿を染める反応染料を搭載しています。インクジェットで染色する生地には、前処理として糊を施し、ダイレクトに染めを施していきます。染めたあとは本染めと同じく、蒸しや水洗が必要ですが、インクジェットの微量な染料を使った染めは水洗時に水の汚染を軽微にします。なお、これは片面のみの染加工となります。

染織の歴史

古代

大昔のエジプトでは、ミイラに巻く麻布を、藍などの植物で、中東はウコンやサフランで布を黄色 に染めていました。クレオパトラは貝の分泌腺から得た貴重な色素で染めた紫の衣服を権力の象徴 としていたそうです。アメリカ大陸では、コチニールという虫から作られた、鮮やかな赤色の染料 を生み出し世界中に輸出していました。コチニール虫からとれる色素は安全で食べ物の色付けにも 使われています。

古代から近代

古代は麻糸の織物が主体で、染色については草木の汁液や花などで摺染(スリ染め)していました。 しかし、応神・仁徳帝の時代に秦氏が帰化することにより織の技術とともに染の技術が伝来・進歩 し、飛鳥・天平時代に入って草木染の染色技術は益々発達しました。そしてこの時代では、草木の 色素を摺染するだけでなく、中国・朝鮮からミョウバンや硫酸鉄などを使用する、いわゆる媒染の 技術が伝来し、衣服はよりカラフルになったとされています。美しく染め上げられた衣服をまとう のは、つねに高貴の象徴でした。当然、帝に仕える人々に織師、染師が生まれました。桓武天皇の 遷都と共に織部司が奈良の都から平安京に移され、そうした織師、染師らも京都に移住してきまし た。紅には紅師あり、紫には紫師あり、紺、黒染師が生まれ、何れも禁裡の御用が専門で染師の邸 宅は烏丸一条辺を中心とした御所の近くにあったそうで、その時代の染師は苗字帯刀を許され、相 当格式があったと伝えられています。この時代に日本、京都の染業のルーツを探ることができます。 徳川時代には、植物染料を主体とする染色法はほぼ確立し、一般大衆の需要に応じる染屋としての 独立した染業が生まれました。文化10年の佐藤信淵の『経済要録』には藍葉、紅葉、紫根、茜草、 ウコン…など植物染料が商取引として挙げられています。八代将軍吉宗は吹上御苑に染殿を設け、 大いに染色の研究をせしめ、染業の発展に貢献したとの記録もあり、京都の染業は産業として、こ の時代に大きく発展したようです。

近代から現代

明治初年頃より、ヨーロッパから日本各地に人工染料が少しずつ輸入されはじめました。当時の繊 維は古代からの麻、絹、それに徳川時代から使用がはじまった綿であり、染色はすべて天然染料で した。しかし、1865年にイギリスのパーキンが合成染料を製造、当時の有機化学の発展とあいまっ て、次々に多くの染料が人工的に造られるようになったのです。織機も明治初年頃ヨーロッパから 輸入され、繊維産業は近代産業として変貌しはじめました。日本の誇るトヨタ自動車ももともと繊 維産業だったのです。日本は世界の大きな産業革命の波をかぶって大きく変革していく時代でした。 大正時代から戦前の間には、原材料としての染料の開発が盛んな時代、明治時代から既に直接、酸 性染料などが開発、使用されていましたが、大正時代に入ってから、ナフトール染料などが相次い で開発され、大正末期にはドイツの染料が各種大量輸入され、新しい化学繊維であるレーヨンの出 現とともに、業界の染色技術が急速に向上したときでした。戦後はこれに一層の拍車がかかること となります。そしてナイロン、ポリエステル、アクリルなどの三大合成繊維の登場です。 これらの合成繊維と共に分散性染料やカチオン染料、さらに反応性染料という綿用の高機能染料が 開発され、染色はその時代の先端化学技術となりました。従来はすべて手作業でなされていた染色 でしたが、高度成長の波に乗って大量染色がはじまりました。機械や電気技術の応用により、機械 化されだしました。 近年はコンピューター技術やナノテクノロジーの発達とともに、染色も織物もより高度な機械化・ オートメーション化が進み、より複雑で高度な染色や織物が可能な時代になってきました。 現在も、これからもまだまだ進歩しつづけていくことでしょう。

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